客観と主観

「問題は解決ではなく、解消せよ」 ~混迷のIT業界を生き抜くためのマネジメントツール SSM 第4回

岡村 敦彦

客観と主管
(本記事は、2009年10月2日公開のものを今回再編集し再掲載しています。)

1. これまでのおさらい

第一回目「問題とは何か」

一言で問題と言っても、いろいろなレベルの問題があるにも関わらず、それらの問題に対して同一のアプローチで対応しようとしてもうまくいくはずがない。なぜならば、そもそも問題の種類が違うのだから。
 

第二回目「ハードとソフト」

一言でハードとソフトと言っても、ものことにはハード的な側面とソフト的な側面がある。どちらかのみが重要ということはありえず、両方が揃って同じ対象を扱う。


第三回目「コンセンサスとアコモデーション」

一言で合意と言ってもいろいろなレベルの合意があり、意見の完全な一致であるコンセンサスは稀なケースと言って良い。であるならば、もっと根底的かつ本質的な合意であるアコモデーションを目指そう。

 

以上のようにこれまでの連載からは、目的が明確でない問題を扱うソフトなアプローチにより、根本的なアコモデーション的合意を目指す考え方が SSM として重要であることがわかってきました。

 

2. 客観と主観

これまでのビジネスの世界では、「客観的」な考え方が正しく、そうでないもの(主観的なもの)は正しくない、という風潮が強く、なるべく主観的なもの、客観的に判断できないものは排除される傾向にありました。特にIT業界の場合はその傾向が強く、科学実証主義的に再現可能がどうかが重要視されています。

しかし第二回(ハードとソフト)の時と同じように、現実の世界は客観的なもののみからできているわけではなく、主観的なことも同じように存在しています。それでもなるべく客観性を重視することが、半ば当たり前のように思われて来たわけです。いろいろなミーティングの場でも、以下のようなことを言われた(言った)ことのある方も多いのではないでしょうか。

「主観的だね」
「それはあなたの主観でしょう」
「これって主観が入ってるんじゃない?」

それでは、なぜ主観はいけないのでしょうか?

「それは、主観は人によって違うからだよ」

ということでしょうか。でも、人によって違うことは、本当にいけないことなのでしょうか?

私たちが実際に生活している時には、人それぞれが自分の判断、つまり主観によって行動しています。そして、それによって現実社会は動いているわけです。

「だからいろんな問題が起こるんだ」

と言われるかも知れません。

でも、それが現実なのです。人によって違う、ということは悪いことではなく、実は当り前のことです。しかしそれを学術的、さらにはビジネス的に捉えるのが難しく、どのように扱ってよいかわからないからという理由でそれを切り離し、「客観的」に判断できることだけで物事を処理しようとしていたにすぎません。

しかし、客観的に物事を判断しよう、と考えること自体も実はその人の主観なわけです。そもそも本当に客観的なものは存在するのだろうか、という疑問すらあるほどです。

であれば、「主観」というものに対して諦めることをせずに、もう少し正面から向き合っても良いのではないでしょうか。

つまり現実社会を生きていく上では、主観は重要であり、それをはずして考えることなどは実は出来るはずがなく、むしろ主観に主軸を置いて考えるべきなのではないでしょうか。現実社会は、人と人とが異なり、多様な価値観が混在しているからこそ面白いのです。

そして主観によって、人は動くのです。

「SSMは主観性にまじめに取り組んでいる」(ソフトシステム方法論より)

 

3. アコモデーションと主観

「そんなこと言っても、みんなばらばらの主観なんて、まともに扱えないよ」

という意見もやはり多いでしょう。それはそうです。そのとおりです。
そこでポイントとなるのが、前回の「アコモデーション」なのです。これは意見の完全なる一致の「コンセンサス」ではなく、多様な価値観を認めながらも根本となる本質面に合意を見つけるものでした。

実はこのアコモデーションは、それぞれそこに関わった人たちの「主観」から見つけて行きます。つまり SSM が扱う主観とは、人それぞれの個人的主観から、そこにかかわる人たちみんなの集団的主観を見つけようとするものなのです。

主観によって人は動きます。ではそれがみんなの主観、複数の人たちによる共通の主観だったら?

そうです、その集団(組織)は、その集団の主観によって動き始めるのです。

 

4. SSM と KJ法

SSM は英国生まれの方法論ですが、実は有名な国産の問題解決手法にも、主観に注目しているものがあります。それが KJ 法です。

「なんだ、KJ法なら知ってるよ」

と言われる方も多いかもしれません。でも、本当にKJ法を知っている、と言える人がどれだけいるのかというと、実はそれほど多くはないのでは ないか、と思っています。

というのも、実は私自身も少し前まではKJ法とは以下のようなものだと思っていました。

「KJ法はデータ(情報)の分類手法である」
「KJ法は問題の分析手法である」

しかし実際のKJ法に触れてみると、これらは全くの間違いであることがよくわかりました。
一体何が違うのでしょうか?

それは.....今後の連載や豆ナイトに期待してください。

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